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タージマハルについて

 愛する人はいつか死ぬ。しかし愛そのものは生死に拘束されることなく永遠に生き続ける…。

国威が最盛期にむかっていた1607年のある日、ムガール帝国の王子、シャー・ジャハーンはミーナバザールを臣下達と共に散歩していたとき、シルクとガラスでできたビーズで身をまとった美しい少女を見かけ、すぐさま一目ぼれしてしまいました。5年もの年月を待ち、少女が結婚できる年齢になり王妃としてふさわしい者と認定された後(当時は愛のためだけで結婚が許される時代ではなかったのである)、つまり王子が20歳、そして少女が19歳になってふたりはやっと結婚できたのです。シャー・ジャハーン帝に嫁ぐ際、先帝ジャハンギール (在位 16051627 から「宮廷の選ばれし者」 という意味で、「ムムターズ・マハル」という名を少女は授けられました。ふたりの結婚生活は、廷臣たちの陰謀や度重なる戦争、そして最後には壮大な戴冠式に至り、はじめからまるで物語に出てくるような、波乱万丈なものでした。こうした結婚生活の19年目、皇帝の 14番目の子供を出産したのち、その産褥熱 (さんじょくねつ) がもとで、ムムターズ・マハルは38歳にして世を去ってしまったのです。王妃に先立たれると、シャー・ジャハーン帝は国中が 2年間の喪に服すことを命じ、みずからも深い悲しみに沈んで、生涯心が晴れることがなかったといいます。 帝国の領土拡大や宮廷政治に意欲を燃やし、「世界の王 (シャー・ジャハーン)」 と名のったかつての面影はなく、ただムムターズ・マハルをしのび、彼女の記憶を永遠に留めるために墓廟の建設に没頭したシャー・ジャハーン帝。彼はこうしてインド亜大陸で最も壮麗にして典雅な、タージマハル廟を建設したのです。他のどのラブストーリーにもまねのできない、非常に壮大な記念物がこのタージマハルなのです。

タージマハルのために選ばれた都、アグラ

アグラはムガール帝国の初期の皇帝達によって選ばれた都でした。帝国の創立者(バブール)が最初ヤムナー河のほとりにペルシャ風の庭園を造成したことに始まり、その後、アクバル(孫)が大きな要塞、レッドフォートを建築して街が大きくなりました。その大きな砦の中にジャハンギールは深紅色の宮殿、法廷及び庭園を建造し、シャー・ジャハーン帝は、大理石で装飾を施したモスク、宝石や白大理石をふんだんに使用した宮殿やパビリオンを建設しました。アグラは現在、愛とイマジネーションのモニュメント、タージマハルの街として世界中から不動の人気を浴びている町となっています。

インドにおけるタージマハルの歴史

タージマハルという名前の由来ははっきりしていません。公式なシャー・ジャハーン帝統治時代の記録では「ムムターズ・マハルの墓」としか記されていないのです。タージマハルとは一般的に「宮廷の冠」と訳されますが、本来はムムターズ・マハルの名前が変化したものなのです。

タージマハルはムムターズ・マハル王妃の魂が眠るために建設された廟で、1637年に都をデリーに移すまで、ムガール帝国の都であったアグラに聳え立つ、大きなレッド・フォートを防御する広い堀としても役立つヤムナー河の川岸に立っています。タージマハルは1631年、ムガール帝国第5皇帝シャー・ジャハーンによって、彼の2番目の妻でイスラム教のペルシアの王妃、ムムターズ・マハルのために建てられました。アッラーの加護を得て、帝国の軍隊を率いて南インド、デカン高原へと遠征に出ていた皇帝に、身ごもったままつき従っていた王妃ムムターズ・マハルは、中部インドのブルハンプルで皇帝の 14番めの子供を出産したのち、その産褥熱 (さんじょくねつ) がもとで、38歳にして世を去ってしまったのです。

ムムターズ・マハル-「私のためにタージを建ててください」

ムムターズ・マハルが亡くなるとき、彼女は皇帝に4つのお願いをしました。1つ目がタージを建てること、2つ目は再び結婚をすること、3つ目はそれぞれの妻の子供達を大切にすること、そして4つ目が彼女の亡くなった日には必ずお参りをすることでした。皇帝は1つ目と2つ目の約束を守りました。2万人の大工や技師達を総動員して1631年に建設が始まり、22年かけてタージマハルは完成しました。大理石の装飾に関しては、イタリアの芸術家の影響もありますが、主要な建築はイランの建築家Istad Usaによって行われました。

 タージマハル-世界の驚異

 世界中の人々にとって、ムガール帝国の皇帝シャー・ジャハーンの王妃ムムターズ・マハルの大霊廟であるタージマハルは、インドと同義語として扱われています。その繊細な象嵌や全体の曲線、正方形の基礎を土台として軽やかに、優しく広がるドーム屋根といったものは数々のパンフレットやガイドブックで知られているイメージです。タージマハルは改めて言うまでもなく、世界が認める驚異の建造物であり、その建築技術の素晴らしさ、美しさというのは人類の、最も誇れる造成物のひとつであり、常に世界の主要な驚異のリストに含まれているのです。霊廟として、地球上でこれ以上の華麗さをかもし出せるものは他に存在しないでしょう。