個人旅行・手配:
1 空港送迎サービス
2 航空券&鉄道チケット手配
3
長距離バスチケット手配
4 レンタカーのご案内
   

モデルプラン:
1 ゴールデン・トライアングル
2 ラジャスタン周遊ツアー
3 クラシック・ツアー
4 カジュラーホー観光ツアー
5 アユルヴェーダ体験ツアー

観光ツアー(専用車使用:
1 デリー&アグラ観光
2 デリー市内観光
3 デリー&ジャイプール観光
4 
ゴールデン・トライアングル2泊3日

観光ツアー(列車利用):
1 デリー&アグラ観光
2 デリー&ジャイプール観光
3
パレス・オン・ウィールズ号
   宮殿列車)
4 ロイヤル・オリエント急行
   特別列車)
5 フェアリー・クィーン号
   特別列車)
6 デカン・オデッセイ号
   (特別列車)



 

デリー& ニューデリー
終日市内観光プラン
毎日催行: 9.00 a.m. ~ 7.00 p.m.

エアコンつき専用車利用の場合 : 料金  1000
エアコンなし専用車利用の場合 : 900

ラシュトラパティ バワン

ジャンタル マンタル ラクシュミナーラーヤン寺院 クトゥブ ミナール
バハイ教礼拝堂 サフダージュン廟 レッド フォート ジャマー マスジッド
ラージガート フマユーン廟 国立博物館  
 

 デリーについて

デリーは、数々の異なる王朝時代に渡って、ヒンズー及びイスラム教徒による支配や戦争、改革などの表舞台となり、また目撃者であった街です。また、近代では英国の統治下に長く置かれたため、英国風の精巧な貴族構造が形作られた場所でもあります。こうした数々の異なる人種、文化、権力機構による統治が現在のデリーという、建築学的にも、文化遺産的にも払拭不可能な素晴らしい都市を作ったのです。

デリーの街の歴史を紐解くと、なんと、2500年も昔までさかのぼることができます。12世紀Chauhan王朝の時代までは北インドの中におけるデリーはヒンズー教の重要な中心地として栄えていました。しかし、1193年、イスラム教徒であったクトゥブ=ウッディン=アイバクがこの街を占領して以降、1206年から1526年にかけてデリーのイスラム教徒スルタンによる統治が絶え間なく続き、それが後にムガル帝国となって1857年まで続く事になるのです。その後、英国はデリーを重用な商業の中心としてとらえたため、1911年までここを首都として統治を行いました。

英国による統治政策及び街づくりはしかしながら、非常に精巧な都市計画に沿って行われた為、デリーに新たな顔を持たせる事となったのです。今日のデリーの人口は英国統治当時、もしくは統治終了後しばらくの間、商業の中心都市にあった莫大な機会を求めて他の土地から移り住んできた者達によって成り立っているのです。

 

国立博物館:月曜日定休

インドに関しての興味を一層掻き立ててくれるのがここ、国立博物館です。1949815日(すなわちインドのイギリスからの独立記念日に合わせて)にオープンしたこの博物館は、考古学的資料から歴史的に重要なものまで、彫刻や絵画、ジュエリー、研究資料、数々の芸術品がところ狭しと並んでいて、まるで宝物博物館のよう。現存している展示物は全て、ラシュトラパティ=バワン(大統領官邸)にあるDurbar ホールに展示してあったものを1960年に現在の博物館へ移したものです。現在、インド全域からもたらされた芸術品は、時代にして5000年以上ものスパンをもち、20万点以上に及ぶ所蔵品を誇っている。ここを訪れたら見逃すわけにはいかないものが幾つかあるが、それは、仏教芸術、タントラ芸術、宝飾品の数々や古代のコイン、インド北部に住む民族のライフスタイルを展示したものや、織物、彫刻に楽器など、一日の見学だけでは到底全てを網羅することは不可能かもしれません。

内部には博物館の他に、研究員や学者などが立ち入れる図書館が併設されており、無料ガイドツアーやフィルムの上演なども行っているので、現地で確認してみるといいでしょう。

ミュージアムショップ

博物館内で展示されている彫刻品のコピーやインド文化や芸術に関する本、写真集やポストカード、ガイドブックやその他お土産にぴったりの手工芸品などが並ぶ。  

 


ラシュトラパティ バワン(大統領官邸):  州議事堂の近くに位置するラシュトラパティ バワンは、国家元首である大統領が住む場所である。現在大統領官邸となっているこの建物は、英国統治時代にインドに配置された総督の官邸として使用されていたもので、宮殿複合体風に設計されている。黄砂岩と赤砂岩及び様々な色をした大理石が使われ、この巨大な宮殿には340の部屋、35のロビー、広大でよく手入れの行き届いた庭園や中庭、37の噴水を擁しており、インドの誇るべき建物のひとつに数えられている。このような重要な建築物は当然一般の立ち入りが制限されているが、有名なムガール庭園(恐らくインドの最良の植物園であり、希少価値の高い何千もの品種の木々や花、果物を有しているといわれる)は、毎年2月の下旬から3月の中旬にかけて一般の入場が許可されている。  


ジャンタル マンタル

この天文台は、ファインアート好きの目から見ると、第一印象はどうしても抽象的に見えてつまらないかもしれないが、天文学という学術分野というものは、そもそも美術とはかけ離れた分野であるということを頭の片隅に置いて貰えれば納得してもらえることだろう。ジャンタル マンタルは、ムガール帝国のアウラングゼーブ皇帝時代に、裁判所で活躍したジャイプールのスルタンであったRaja Sawai Jai Singh II1699-1743年)が描いた青写真によって作られた観測台である。自分自身を熱心な天文学者として自負していたSawai Jai Singh にとって、当時の天文観測技術は満足できるものではなかったという。

自分の統治領土の安定とムガール帝国との固い絆に安心した彼は、その注意を既存の天文学の修正へと移行し、もっと自分の納得がいき、既存のものよりもより信頼できる道具を備えた現代的な暦を作ることに情熱を傾けたのであるデリーのジャンタル マンタルは彼が作った5つの観測所のうち、一番最初に作られたものであり、その他の観測所はそれぞれジャイプール、ヴァラナシ、ウジャインとマトゥーラにある。Samrat Yantra は単純に等しい時間を刻む日時計であり、Ram Yantraは上空の角度を読むために使用された。 Jai Prakash Yantra は太陽と他の天体の上空における位置を確認するためのものであり、Misra Yantra は4つの科学的な装置のコンビネーションであった。

 



ラクシュミナーラーヤン寺院
: 有名な資産家のビルラ一家によって建てられたために、ビルラ・マンディールという名前でもよく知られています。オリッサ建築様式で1938年に建てられた大きなヒンドゥ教寺院で、多くの信者がお祈りにやってきます。
 




 

クトゥブ ミナール
南デリーにその時代にしては最高の高さ、72.5mを誇るミナレット(塔)を持つ大きなモスク、クトゥブ ミナールがある。1199年にイスラム教徒の皇帝クトゥブ=アッディン=アイバクが着工し、その後継者によって完成されたので、クトゥブの塔という名前がつけられた。塔の正面には鉄製の柱が一本立っており、専門家によると、これは5世紀に作られたものだということが判明しているが、未だどこも錆びていないため、この柱には何らかの魔力があるといわれている!!いつからか、ヒトがこの柱に背中を向けて後ろに両手を回してつなぐことができれば、そのヒトの願い事が叶うと言われている。残念ながら近年、観光客などの数々の不慮の事故や自殺の試みなどにより、塔は立ち入ることができなくなり、柱も近づけないように柵が張り巡らされてしまったが、そこには数々の神話や伝説に満ちた古代の遺跡が沢山残っており、観光客のイマジネーションを高めさせ